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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~

第五話 サンガララの戦(4)

夕暮れの天地

【 第五話 サンガララの戦(4) 】

一方、この頃、敵方であるスペイン側の情勢はいかなる様相を呈していたであろうか。

トゥパク・アマルの釈放した捕虜たちの帰還によって、あの猛将ランダ率いる精鋭の討伐隊さえもサンガララにて壊滅したことを知ったクスコでは、戦時委員会の面々が蒼白の極みに達したのは言うまでもない。

しかも、帰還したスペイン兵たちは、「インカ軍を決して侮ってはなりませぬ!!」と、口々に報告した。

インカ軍討伐に猛り狂うモスコーソ司祭などは、サンガララの敗戦を聞くに堪えず、ついにはその場で眩暈を起こして失神するほどの有様であった。

かくして再び意識を取り戻したモスコーソの眼は、もはやこの世のものとは思えぬほどに爛々と奇態な光を放ち、ひどく歪んだその形相は不気味な笑みさえ湛えている。

「サンガララの地にて、あのトゥパク・アマルは、ついに…、ついに教会を血をもって汚しおったのじゃ!!」

叫ぶようにそう言うと、僧衣の袖をバサバサと激しく振り回し、集まっていた戦時委員会の面々を狂気の眼で見渡した。

委員会のメンバーたちは、皆、恐れ慄いて、思わず椅子を後方にひいた。

モスコーソは雷(いかずち)を振り下ろすがごとくの勢いで、その拳をテーブルめがけて叩きつけた。

彼の胸元の巨大な十字架が、激しく左右に揺れる。

「トゥパク・アマルとその一党をキリスト教から破門するのじゃ!!

破門じゃ!!

破門するのじゃ!!」

トゥパク・アマルらの「破門」を唾を飛ばしながら狂ったように叫び続けるモスコーソを、委員会のメンバーたちは完全に気圧された眼で見上げながら、しかし、「もっともなことでございます。モスコーソ司祭様!」と、口々に同意した。

聖堂

しかしながら、真実は、教会を血で汚したのは、決してトゥパク・アマルではなかったはずだ。

サンガララの合戦冒頭で、教会の出口で小競り合いを引き起こし、死傷者を出したのは、スペイン側の歩兵が逃げ込んだこと、及び、隊長ランダが叱責したことが引き金であり、原因である。

トゥパク・アマルは、むしろ教会を血で汚すことを避けるために、細心の注意を払っていた。

だが、トゥパク・アマルら一味を一掃することに憑かれたモスコーソにとって、真実がいかなるものであるかなど、そのようなことはもはや重要ではなかった。

トゥパク・アマル、及び、インカ軍をいかに追い詰め、破綻に至らしめるか、その目的のための行動が、今やいかなる真実よりも優先された。

モスコーソは「司祭」というその絶大な権限を振るい、トゥパク・アマルとその一党をキリスト教から破門する旨を、国中の信者たちに向けて厳かに謳いあげた。

「ティンタ郡のカシーケ(領主)、トゥパク・アマルは、スペイン王陛下に謀反をいたし、王の権利を剥奪し、泰平を乱したかどによって、これをキリスト教から破門することを天下に通告する!!

トゥパク・アマルを援助し、同情し、付き従った者が、本布告が出された後、あの者となお連絡を保ち、援助をするならば、同様に破門に付す!!

破門を許す権利は、余のみが保有する!!」

モスコーソはその旨を書き記した貼り紙を国中の教会に掲げるよう命を発した後、まだ姿の見えぬトゥパク・アマルをあの舐めるような、しかし、今や炯々と血走った眼で見据えるようにしながら、不気味に笑った。

さすがのトゥパク・アマルも今回こそは決定的な打撃を受けるに相違ないと、この国の民衆心理を読み抜いているモスコーソは確信していた。

「破門」…――実際、その言葉のもつ不吉な響きは、現代の我々には到底、想像の及ばぬほどの強烈なものであったのだ。



黄昏の色

一方、その頃、かのトゥパク・アマルは南部地域を転戦し、兵力の増強を図っていた。

彼はその日の戦闘を終えた野営場に戻ると、義勇兵たちの様子を見渡せる丘の上に立ち、静かな視線を眼下に注いでいた。

暮れなずむ夏の夕空に溶け込むように、長い漆黒の髪が舞っている。

今、彼の手の中には、あのモスコーソが国中にばらまいた破門宣告の布告状があった。

既に義勇兵たちの間にも、トゥパク・アマルらインカ軍幹部がキリスト教から破門されたという噂が広がっていることであろう。

トゥパク・アマルの精悍な横顔で、その瞳が鋭く光る。

彼は、ついに最大の一手を打ってきたモスコーソの所業を苦々しく、しかし、確かに、それがインカ側に与えるであろう破壊的な打撃を完全に見切っていた。

これまで、さんざんなモスコーソの脅しにも関らず、「インカ皇帝」の復活に深く感動し、敬愛の念と共に自らの復権意識に目覚めたインカ族の多くの者たちは、トゥパク・アマルに変わらぬ忠誠を誓い、しかも、この期に至っても、遥か遠方からさえ続々とインカ軍への参戦に勇んで馳せ参じていた。

しかしながら、ついに己がキリスト教から「破門」までされるに至った今、インカ族の者たちはともかく、当地生まれのスペイン人たちが、いかに動揺するかは想像に余りある。

心の奥底では、まだ密かに本来のインカの神々を信仰しているインカ族の者たちに比して、敬虔なキリスト教徒である場合の多い当地生まれのスペイン人たちは、「破門」という響きに酷く恐れをなすことは必定だった。

実際、スペイン本国から渡ってきたスペイン人たちからどれほど虐げられていようとも、当地生まれのスペイン人たちは、「スペイン人」には変わりなく、しかし、インカ族のためのみならず彼らをも解放しようと奮戦するトゥパク・アマルへの敬愛もあり、その両方の思いから深い葛藤状態に陥っていた。

そのような彼らの絶対的な精神的支柱であるキリスト教から、インカ側に加担することで己までもが破門されるという非常な恐れは、いかに心の内ではトゥパク・アマルの意向に賛同していようとも、表立った協力的な行動をとることを彼らに躊躇させるはずだ。

彼らの置かれた複雑な立場と深い葛藤を理解しているトゥパク・アマルには、それもやむをえぬとの認識があった。

(しかし…――!)

彼は手の中にある、己の破門を謳いあげた書状を握り締めた。

(こうなることは、もともと予測の範囲。

だが、人種を超え、一丸となって心を一つにし、強大な敵にも恐れず立ち向かうという、その形が崩れることは、決して看過できぬこと…!

このまま、モスコーソ殿の思うがままにさせておくわけにはいかぬ!!)

トゥパク・アマルはそのまま踵を返して足早に天幕へ戻ると、決然とした眼差しでペンを走らせはじめた。

この時、トゥパク・アマルがしたためたのは、モスコーソ司祭の破門宣告の妥当性を暗に否定し、己の行動や政策の真意を改めて説明した各教区宛ての回状であった。

事実、歴史上の資料によれば、彼は、モスコーソ司祭の破門宣告を受けてまもなく、己の統治下に入った区域内の神父たちに堂々たる回状を送っている。

そして、己の行動や政策は、決して教会や僧職に逆らうものではない旨を厳かに誓言した。

剣の十字架

トゥパク・アマルの発した回状の内容は、概ね次のごとくであった。

『聖なる洗礼を受けたキリスト者として申し上げますならば、カトリックの深い信仰をもつ教会の子は、崇拝する神の殿堂を汚すことなど、決してできはいたしませぬ。

わたしの意図は、キリスト教への信仰、僧院の平和が乱されることではございませぬ。

この後も、僧院の聖なる処女童貞の純潔は決して汚れることなく、神父様たちは、わたしの部下から少しも害を蒙ることはありませぬ。

わたしの意図は、単に強制配給(レパルト)、強制労働(ミタ)、その他すべての人民を脅かす悪税などの言語道断な習慣や悪政を破棄することにあることを保証いたします。

どうかわたしの行動を見て、これらの誓言が決して方便ではなきことをご判断願いたく、深く願い奉ります。』

キリストの本質を深く理解する神父たちの中には、そして、多くの敬虔な信者たちの中には、トゥパク・アマルのこの宣言と、そして彼の実際の行動の中に、真のキリスト者としての姿を見て取った者が少なからずあったはずである。



しかしながら、一方で、トゥパク・アマルの宣言を打ち崩すがごとくに、この国最高の司祭モスコーソは、執拗に彼をキリスト教への反逆者として激しく非難し、「破門」を叫び続けた。

この頃、モスコーソ司祭がペルー副王領の副王ハウレギに書き送った書状の中でも、「トゥパク・アマルはカトリック王カルロス三世(註:本国スペインの国王)に盾突いているのでありますから、まさしくカトリック教に害を与える大いなる反逆者なのであります」と力を込めて罵(ののし)っている。

確かに、反乱行為なるものは、当時のスペインにおけるカトリックの頂点に立つカルロス王への反逆であり、それはイコール神への反逆でもあるという、このモスコーソの理論もまた、皮肉なことではあるが、理屈上は一理あるものではあった。

かくして、トゥパク・アマルらインカ軍を覆う暗雲は、この後、まもなく首府リマに反乱の情報が伝わることにより、いっそう重く暗澹と垂れ込めていくことになるのである。



◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ第六話 牙城クスコ(1)をご覧ください。◆◇◆








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